第1章 出会いはバーベキューだった

玉井さんがパデルと出会ったのは、所沢で開かれていた「Padel Con Asado」という集まりでした。アサードは南米スタイルのバーベキューのことで、アサードをしながらパデルを楽しむこの会は、当時パデルの普及に取り組んでいた中塚さん(現・日本パデル協会会長)が始めたものです。まずは体験してほしい、という普及活動の一環で、10年以上続いており、今も開催されています。

エプロン姿でラケットを持つ玉井さん イベントでエプロンを着けた玉井さん。パデルとの出会いも、バーベキュー「アサード」の集まりだった

当時の玉井さんは、趣味の範囲でテニスのイベント合宿などを開いていました。ただ、テニスはすでに市場が出来上がっていて、新しい試みをしにくい分野でもありました。そんな中で出会ったパデルに、玉井さんは強い衝撃を受けたといいます。

「テニス力やフィジカルに関係なく、国籍や年齢を超えて、老若男女が楽しんでいる。その雰囲気に衝撃を受けたんです」

経験や力の強さに関係なく、誰もが同じコートで楽しんでいる。この雰囲気が、玉井さんをパデルに引き込みました。

決定的だったのは、初めて臨んだ試合です。テニス経験者と組んだペアで、中塚さんのペアと対戦しました。「負けるはずがない」と思っていた相手に、タイブレークの末に敗れたのです。

「負けるはずないじゃん、俺らが。それがタイブレークで負けた。そこでプレイヤーとしての火もついたんです」

負けた悔しさが、その後の10年を動かす原動力になりました。

コートでラケットを構える玉井さん プレイヤーとしてもコートに立ち続けてきた

第2章 40歳の決断と、クラウドファンディングの修羅場

出会いからまもなく、玉井さんは大きな決断をします。前職(株式会社SORA)の経営を役員に任せ、自分はパデル1本に絞ることにしたのです。パデルがうまくいく保証はどこにもありませんでした。

「パデル自体はうまくいくか分からなかった。でも、もう会社の経営は任せて、俺はパデル1本で行こうって決めたんです」

40歳での決断でした。そして2015年、株式会社Padel Asiaを設立します。

IT企業時代の玉井さん 前職のIT企業時代。40歳でパデル1本への転身を決めた

次に立ちはだかったのが、コート作りの資金です。東京初のコート「パデル東京」を作るにあたり、玉井さんが選んだのはクラウドファンディングでした。まず話題を作ること。それ自体が普及活動でもありました。

ところが、その挑戦は綱渡りでした。目標金額に達しなければ支援金がすべて戻る「オール・オア・ナッシング」方式で、締め切りの10日前の時点で集まっていたのは、目標金額700万円にたいして約200万円にとどまっていたといいます。

最終的に目標は達成され、集まったのは7,856,000円、総支援者数は352人でした。2016年12月、パデル東京は練馬区・善福寺公園テニスクラブ内にオープンしました。特徴的だったのは、支援者の名前をコートのガラスに刻む仕掛けです。支援した人が、コートの「作り手」として残る。その発想が功を奏したのか、あのとき支えてくれた支援者たちとは、今もつながりが続いているといいます。

支援者の名前が刻まれたコートのガラス コートのガラスに刻まれた支援者の名前

(クラウドファンディングの活動報告:https://camp-fire.jp/projects/4062/view/activities/10670 )

オープン当時のパデル東京(2016年) 2016年12月、東京初の専用コート「パデル東京」がオープンした当時

まだ誰も知らないスポーツのコートを、東京に作る。資金集めそのものが、日本のパデルの最初の広報活動でもありました。

第3章 Padel Asiaの今——4つの領域と「社会インフラ」

Padel Asiaの設立は2015年10月。10年以上が経ちました。現在のPadel Asiaが掲げるビジョンは、はっきりしています。

「私たちがやろうとしているのは、パデルを日本の社会インフラにすることです。その上にあるビジョンは、パデルを通じて笑顔を作って、元気な日本を作ること」

事業は4つの領域を同時に進めています。1つ目は施設の運営。2つ目は体験会やコミュニティを通じた普及活動です。3つ目は競技・育成で、ジュニアが日本代表を目指す育成クラスも含まれます。4つ目は事業化の支援で、新しくパデル事業に参入したい人へのコンサルティングやプロデュースを行っています。

コートを運営するだけでなく、「始める人」「極める人」「作る人」のそれぞれに向けた仕事を並行して回しているのが、Padel Asiaの特徴です。

子どもたちを指導する玉井さん ジュニアの育成クラスなど、次世代への普及にも取り組む

コートは、パデル東京に続き、2019年8月に愛知県初のパデル名古屋、2023年1月には東京スカイツリーの麓にパデル東京ミズマチがオープンしました。

パデル名古屋での集合写真(2019年) 2019年8月にオープンしたパデル名古屋での集合写真

パデル東京ミズマチでの団体戦イベントの写真 2023年1月、パデル東京ミズマチで開かれた、パデル元日本代表・五味選手とコラボした団体戦イベントで。後ろに見えるのは東京スカイツリー

自身の強みを聞くと、玉井さんは笑ってこう答えます。

「日本で一番失敗をしているのが私です。失敗を持っているのが私です」

失敗の蓄積こそがノウハウだという自己紹介です。10年間、誰も正解を知らない分野で手を動かし続けてきたからこその言葉でした。

なお玉井さんは、2016年の日本パデル協会の立ち上げメンバーの1人で、副会長も務めました。ただ、事業化を進めるうえでの立場の線引きを考え、2025年に協会の役員を退任しています。

第4章 日本と世界の現在地

日本のパデルは今、転換点にいると玉井さんは見ています。キーワードは「50コートの法則」です。コート数が50を超えると、競技人口が一気に増え始める。世界の広がり方を見てきた経験則だといいます。

玉井さんによると、2026年10月時点で国内のコートは29施設・58面まで増え、競技人口は推計で約6万人とされています。コート数は「50コートの法則」の境目をすでに越えていて、ここから競技人口の伸びが本格化する局面に入っている、というのが玉井さんの見立てです。

世界に目を向けると、競技人口は約4,000万人と推計されています(国際パデル連盟(FIP)の年次報告『World Padel Report 2026』)。コートの分布は、ヨーロッパが約7割、南北アメリカ大陸が約25%を占め、いま伸びているのはアジアとアフリカです。

諸説ありますが、玉井さんの説明では、そもそもパデルはメキシコで生まれ、スペインのクラブで競技として始まったスポーツです。そのスペインでは、アルゼンチンの経済危機を機にコーチたちが移住し、国が土地を提供する後押しもあって競技として大きく育ちました。

広がり方は国ごとにまったく違う、と玉井さんは話します。スウェーデンでは、コロナ禍に距離を保ちながら楽しめる運動として国の補助金も後押しになり、急増しました。インドネシアでは、SNSと「ファッショナブルなスポーツ」としての広がりで、約300%の伸びを見せています。

なお、玉井さんは2032年のブリスベンオリンピックでの競技採用を目指すと話しています。実現すれば、日本のパデルにとっても大きな節目になるはずです。

第5章 初心者の「最初の1回」と、続けるコツ

これから始める人にとって気になるのは、「体験して、続けられるか」ではないでしょうか。玉井さんは、ここに普及の核心があるといいます。

「体験して楽しかった、で、自力でパデルをやり続けてくれる人って本当にレアで。そこにコミュニティっていうのを入れる必要があるんです」

楽しかった、で終わらせない。施設側も、週1回のスクールなど、通い続ける仕組みを用意しています。始める側の工夫で言えば、体験会を探すときに、2回目以降の通い方――定期のスクールやイベントがあるか――まで見ておくと、その後の続きやすさが変わってきます。

体験レッスンの様子 初めての人でもラリーが続くよう、体験の場を整える

もう1つ、玉井さんが挙げるのが「夢」です。

「パデルだったら、今からでもベテランの世界、日本代表に入れるとか、そういう夢をもう一度見ませんか、と」

大人になってからでも、もう一度本気で目指せるものがある。それもパデルの持つ魅力だといいます。

テニス経験者に向けたコツも聞きました。

「テニスをやってる人って面白くて、1回壁を使おうとすると、1回めっちゃ弱くなるんです。試合で『俺、壁使わない方が強えから』って言って、ずっと壁を使わないと全然成長しなくて。1回弱くなった人のほうが強いですね」

壁を使うと、一時的に弱くなる。その時期を越えた人が伸びる、というわけです。

一方で、普及の最大の壁は施設の少なさだと玉井さんは言います。

「圧倒的に施設の数が少ないんですよね。アクセスのいい場所にコートがあって、30分ぐらい行ってやってみる、みたいな環境がないと、誘ったり体験したりする機会が作れない」

気軽に行ける場所が増えること。それが次の広がりの条件です。

第6章 パデルのこれから

近年、日本でも名前を聞くようになったピックルボールとの関係も聞きました。

性格の違う2つのスポーツが、それぞれの形で広がっていく。玉井さんはそう見ています。

そして、ここからが玉井さんの話の核心でした。

「私は多分、誰よりも、パデルだけじゃ何もできないことをよく知っていて。パデルだけじゃ何の課題解決もできないと思ってるんです。」

スポーツをすること自体が目的ではなく、地域の課題を解くための手段として捉える発想です。ヨーロッパで成功しているのは、パデルコート単独の施設ではなく、テニスやジム、レストランなどが集まり、場所そのものがコミュニティになる形だといいます。

「場所が、単純にパデルをしに行く場所ではなくて、コミュニティになる場所を作る。それがヨーロッパで成功している文化なんですよね」

そういう場所を日本にも作ること。それが「社会インフラ」という言葉の具体的な姿です。コートの数を増やすことと、人が集まる場所を作ること。玉井さんの10年は、その両方を同時に追いかけてきた時間でもありました。

締め 玉井さんから、これから始める人へ

最後に、これからパデルを始める人への言葉を聞きました。

パデルは「誰でもできる」スポーツだと言われます。壁があるおかげで、初めてでもラリーが続きやすい。でも、玉井さんはこう続けます。

「パデルには実は『沼』っていうのがあって。やってみると、奥深さがめちゃめちゃあるんですよね」

車いすパデルの選手と握手する玉井さん 車いすパデルの選手たちとの交流の様子

パデルはダブルスでプレーするスポーツです。1人では成立しません。

「2人じゃなきゃできないっていう。これがまた良くて、仲間やコミュニティが作りやすい。それがパデルの1つの強みであり、難しさでもあるんです」

ペアとの戦略とコミュニケーションが欠かせないからこそ、誘い合い、教え合う関係が生まれやすい。第5章で語られた「続けるにはコミュニティが要る」という話と、ここはつながっています。

「はまりやすいスポーツだと思います。なおかつ世界で広がっているので、海外の方たちとパデルを通じて接点を持つことが、めちゃめちゃ多くなるんですよ」

国内で始めたはずの趣味が、気づけば世界とつながっている。バーベキューでの出会いから10年、玉井さんが見ているのは、コートの先にある人と地域の景色でした。

取材を通じて印象に残ったのは、玉井さんの話が終始、コートの外側――人や地域の話――に向かっていたことです。「社会インフラ」という言葉の重さは、そこにあります。

興味が湧いたら、まずは近くのコートで体験会を探してみてください。壁に当たったボールが返ってくる瞬間から、沼は始まります。


玉井勝善(たまい・かつよし) 株式会社Padel Asia 代表取締役。2015年10月にPadel Asiaを設立。2016年12月に東京初のパデルコート「パデル東京」をオープンしPadelAsia直営施設として運営を行っている。2016年の日本パデル協会立ち上げメンバーの1人で副会長を務め、2025年に役員を退任。

取材・文:PADEL SPOT編集部

画像:Padel Asia